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芹沢のお気に入りの品

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ネタが無いので、私のお気に入りを紹介します。
まずはお気に入りの女の子の写真集です。

●写真集左から「池脇千鶴」「貫地谷しほり」「山口紗弥加」
共通点はありますかね?素朴なかんじの女子が好きなようです。

池脇千鶴さんのロリ顔で、関西弁を話すところなんて、可愛くてサイコーですね!
芸能界に詳しい知人から聞いた話では、相当エッチ臭い噂が多い女優さんだとか。あんな爽やかなのにドキドキしますね!

貫地谷しほりさんは、あの気の強そうなかんじがM男心をくすぐります。
新潟出身で、雪景色がとってもおにあい。わらでできた頭巾をかぶって、合唱づくりの古民家の前に立たせて「ゆきちゃんの香りの麹みそ~」とか歌ってほしいですね!!(雪国ではメジャーな味噌のCMソング)

山口紗弥加さんは、このほかにも2冊も写真集を持っています。少女の頃は本当に美しくて、圧倒的美少女でしたね!!私がこの娘の彼氏なら、きっとどんな我が儘も許してしまうでしょう。
そのくらい、芹沢に夢を与えてくれる写真集です。

ちなみに、いま一番好きな(気になる)オトナの女性タレントさんは、辺見えみりさんです。カワイイしおしゃれだわ!!


●写真2枚目 オランダのブランド「ピップスタジオ」の鳥グッズ
鳥のお皿を集めています。
このブランドは、ポップな色調と鳥や花のイラストがとても愛らしいグッズをたくさん作っていて、可愛いもの好きな世界中の女子達のハートをとりこにしています。

参考にhttp://www.google.co.jp/imgres?imgurl=http://orandastyle.com/191-628-home/yoghurt-bowl-pip-floral.jpg&imgrefurl=http://orandastyle.com/18-pip-studio%3Fp%3D2&usg=__os_EvtxFbZcZKxlbKJ5gOcJicGs=&h=238&w=214&sz=7&hl=ja&start=26&zoom=1&tbnid=P0VZ-NrCcrjPxM:&tbnh=109&tbnw=98&ei=IrKITs3YC475mAWk_sQU&prev=/search%3Fq%3DPIP%25E3%2582%25B9%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25B8%25E3%2582%25AA%26start%3D21%26um%3D1%26hl%3Dja%26sa%3DN%26rls%3Dcom.microsoft:*:IE-SearchBox%26rlz%3D1I7GFRD%26tbm%3Disch&um=1&itbs=1

こちらで↑買えます。

私が買ったのは、お皿とペーパーボックス、日記帳などです。
バスタオルやかばん、クッションなどもあるみたい。

一枚だけピップスタジオのものではないお皿もありますが、鳥コレクションとして加えてみました。
今後も徐々にコレクションを増やして行きたい!!

●写真3枚目

ボダムのコーヒーメーカー、シンガポールの紅茶(TWG)

ボダムとは、デンマークの食器のブランドで、誰でも一度はカフェやお店でこのメーカーの食器を目にしたことがあると思われるほどのメジャーな世界的ブランドです。

結婚式の引き出物カタログで、この美しいフォルムのコーヒーメーカーを見つけてから、忘れられなくて、自腹で購入。
粗挽きコーヒー豆を買ってきて、このポットでコーヒーを入れるととっても美味。

それ以来とりこです。

ボダム↓
http://www.bodum.com/jp/ja/

TWGは、トワイニングと同じロゴですが、シンガポールの紅茶のお店です。
親友の夫婦がお土産に買ってきてくれました。
花の香り満載のアールグレイと、緑茶をベースにした爽やかなサクラという名のブレンドティー。

一口ふくめば、まるでイギリスで、アフターヌーンティーを楽しむ貴婦人になった気分。(イギリスなんか行ったことはないが)


そんなわけで、芹沢自慢のコレクションを紹介いたしました。
自己満足ですとも、ええ。


またどんどん第2弾、3弾やりたいわ。

あけましておめでとうございます

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1月ももう半ばですが

いまさらですが


あけましておめでとうございます

芹沢由紀子です

今年はたくさん仕事をするつもりですのでよろしくお願いいたします!!
年末から、いっぱいいっぱいお仕事しています。

先日、マンガの資料のロケで、浅草にお芝居を見に行ってきました。


芹沢人生初の、大衆演劇を!!

劇団「花吹雪」というところのお芝居を観て、大爆笑し、大号泣してきました。
面白かったです。

カッパ橋道具街(田原町)で、台所用品(鉄鍋やら包丁やら)をお買い物したあと、フラッと浅草の芝居小屋「木馬館」に行って見ました。

1時間ほどのお芝居から見たのですが、すでに会場は大入りで大賑わい。やはりお客さんは年配の男女が多かった。
でも、若い女の子もたくさんいました。
有名個性派女優の「K桐H」さんもいました。
「木馬館」は古くてレトロな建物で、観客のおばあちゃんが、勝手に空調を調節していました。
ロビーでは若い女性がたむろしてタバコを吸っています。
おじいさんおばあさんの多くは、さきいかやお饅頭を食べながら観劇しています。

ゆ・・・・ゆる~~~~いい!!

でもお芝居は本格的。歴史のあるいいお話。家族愛がテーマです。
お芝居で笑って泣いて、そのあとの歌謡ショーでは、役者さんの華麗な踊りでうっとりできます。
本当に女形役者さんって、美しくて女性にしか見えなかった。
でも、マイク持って話し出すと、男性の声だったからビックリするね!!

なんかの出し物?+1時間くらいのお芝居+歌謡ショー
しかも、1500円ポッキリで、3時間も楽しめるという、かなり出血大サービス的な娯楽だったことに驚きなわたし。

しかもほぼ休み無く毎日昼と夜、2回も公演しているらしい!!


役者さんたちは一体いつ休むの?!
そして、お給料は足りているのか?!

そんな心配ばかりしてしまうオバサン的なお年頃。

本日はそんな楽しい「大衆演劇」の世界観をちょっぴり紹介したかったのです。魅力は伝わったかしら?

そんな彼らの世界が私のマンガに登場するのは、来月2月24日発売の「恋愛白書パステル」誌上ですのでヨロシクね!!


ちなみに、さっき仕上げてアップしたての原稿(写真のもの)は、同じく2月10日発売の「ザ・デザート」に載ります、新作シリーズ第1話目ですので、そちらもお楽しみにしてください。

今度のシリーズは少しコミカルな親戚(おじと姪)のラブストーリーです。

サムい話

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いつの間にか12月になっていました・・・
ショックです


仕事はしています。
ご安心を。

生きています。

最近は、電磁波が怖いのと、PCのネット環境が悪い(すぐにフリーズしてしまう)という理由で、ミクシにも、ツイッターにも、フェイスブックにもログインをサボっていたら、ノムラさんというありがたいファン(?)の方から、「更新しろ」という厳しいチェックがしばしば入るので、仕方なく、いや、ありがたく更新してみる次第であります。


こんなズボラでやる気の無いマンガ家を、いつもチェックしてくれてどうもありがとうございます。

芹沢由紀子はそんなありがたいファン(というか、もう親戚レヴェル)のかたがたによって支えられているといっても過言ではありません。


というわけで・・・

もう12月ですね。
サムイですね。故郷の富山でも雪がふったとか。
私ももう外出には貼るホッカイロが欠かせません。お尻に貼って出かけます。これは私があみ出した方法で、背中に貼るほど熱くならないし、下半身が冷えずとってもオススメです!!


そういえば、去年の今頃、寒いのになぜか銀座にある「アイスバー」というところに友人らと出かけて見ました。
写真はそのときのものです。
バーテンダーさんは、なぜか雪も降らないスリランカ出身の人で、2時間おきに外にいる人と交代するそうです。
外に出たバーテンダーさんは、2時間何をして過ごすんでしょうか?ナゾです。

私たちはその日、いちおうムートンで出来たポンチョと手袋を店で貸してもらって、マイナス5度という部屋に入り、カウンターも壁もすべて氷で出来たバーでアトラクションを楽しむという企画でした。

ちなみにココではグラスも氷をくりぬいたもので出来ています。
ドリンクつきで、3000円くらいだったかと記憶しております。

その氷グラスで乾杯したあと、氷で出来た大きな凹レンズと凸レンズで遊んだり、氷で出来た大太鼓をばちで打ち鳴らしたりして遊びます。
よく意味が分かりませんが、それなりにマイナス5度の、超非日常空間で、ハイテンションになっているので、「なぜ氷で太鼓を作ったのか」という理由も考えずにはしゃぎます。

だが、5分、10分とたつうちに、カラダがどんどん冷えてきました。カクテルも、凍ってしまわないように、アルコール度数の高いものを飲むのですが、全く温かくはなりません。
そうしているうちに、体温がどんどん奪われていき、やがてガタガタと震えが止まらなくなり、「リタイヤです」といって、全員が30分もしないうちにバーをあとにしました。


死ぬかと思いました。


夏場は楽しいのかなとも思ったけれど、それでも私はマイナス5度には耐えられそうにない。


なぜ極度の寒がりで、超冷え性、変温動物に近い私があのような店に行ってしまったのか、後悔と共にナゾである。

だが、ふとあのアイスバー、今もあるのかな?と気になり調べてみたら、
なんと今年の9月に、「震災後の節電の風潮の影響を受け」閉店したことが判明。

詳細↓
http://www.icebartokyo.com/index.html


なんか、多分2度と行かないだろうと思っていたけど、節電の影響で閉店したのかと思うと、寂しい感じがする。

同時に、閉店する前にいけてよかったな、あの苦痛体験はムダじゃなかったな、と思えたのだった。

谷野雅紀さんとJ-Workout

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こんばんは芹沢由紀子です

またまた長らくぶりの更新ですが、お許しください。

なんと1年以上も前に、取材をさせていただき、この日記上でも予告までしたのに、更新できていなかったイケメントレーナーさん「谷野雅紀さん」の取材レポートを、やっとかっとやります。

いまさら・・・感が否めませんが、今年の3月11日、東北大震災の起こったのと同じ日に全国発売した私の単行本「花畑で地上90センチのキスを。」のコミックスをご存知でしょうか?

車椅子の乗った青年に恋するギャルが主人公のラブストーリーなのですが、それを描くに当たり、昨年は東京都豊洲にあるせきずい損傷者専門のスポーツジム「J-Workout」さんに大変お世話になりました。

昨年も、日記上で数名のせきそんのイケメンさんたちを紹介いたしました。そして今回がその最終回です。

発表までに1年以上もかかってしまって、ご協力くださった関係者の方々と、谷野さん本人には大変なご迷惑をおかけしました。

のちにその理由についてもふれますが、とりあえずは、谷野雅紀トレーナーと、J-Workoutについてレポートをさせていただきますね!!

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写真のイケメンは、豊洲にある日本で唯一のせきずい損傷者専門回復ジム「J-Workout」で働く現役のトレーナーさんである。
日本に数名しかいない、エゴスキューという骨格、筋肉の調整を行なえるスペシャリストの勉強をされているすごいトレーナーサンなのだ。
詳しくは、公式HPをご覧ください。

http://j-workout.com/


谷野さんの働くジムは、病気や事故などにより、お医者さんから「もうもとのカラダのように歩いたり走ったりはできませんよ」と宣告された「せきずい損傷の障害者」専門のジム。
医者から、これ以上の快復は困難、とされた人でも、J-Workoutでいろいろな方向からのアプローチとトレーニングを積み重ねていくことで、歩いたり回復したりするのだ!!(個人差あり)
このメカニズムは、専門的で説明がめんどくさいのでここでは割愛。

もともとはアメリカのサンディエゴにある施設で研究されていたメソッドで、数年前社長の渡辺淳氏によって日本に紹介され、ジムが設立された。

間違っていたらごめんなさい。

そんな、日本でもまだ歴史が浅い、広く一般にも知られていないジムだが、日本国内からその高い信頼と結果を聞きつけて、さまざまな患者さん(クライアントさん)が遠くからも通ってきている。
民間企業ではあるが、各メディアからも注目され、これからの活動がもとても期待されている事業なのだ。

私は偶然ネットで「せきずい損傷」について調べていて、このジムを見つけた。取材を申し込むと、広報の女性が快く引き受けてくれて、尽力してくれた。

実際にジムでトレーニングを受けているクライアントさん3名と、トレーナーさんを1名紹介していただいた。
トレーナーさんが谷野さんだった。

私と担当編集T氏が、諸手あげて絶賛するくらいのイケメンなのだ!!
谷野さんは、クールな顔立ちだが優しい語り口調で、我々のいろんな失礼な質問に快く回答してくれた。

彼は関西生まれ。大学時代は経済学部だった。サッカーが大好きで、大会で優勝するなど、華々しい活躍もあったが、腰を痛めてしまい、サッカーから遠ざかることになってしまった。
サッカーが出来ない悲しみを癒すために、カナダに留学したり、イギリスを訪れたりと、いろいろ外国を回った。
海外では様々な衝撃を受けたという谷野さん。
たとえ、スポーツ選手が出来なくても、スポーツトレーナーという仕事があると知ったのだ。

大学を卒業し、帰国した谷野さんは、身内の運営するNPO(福祉介護事業所)で1年間、ヘルパーや介護といった手伝いをした。
そして、東京のJ-Workout の存在を知り、自分も働いてみたいと思った。
関西での仕事をやめて、東京に引っ越してきて、J-Workout に人生を賭けて就職したのだった。

谷野さんは、クライアントさんの骨格をなおしたり、筋肉バランスを整えたりしながら、時間をかけて、一時的ではない効果をみこした全身そのものを矯正していくトレーニングを行なっている。

日本各地から、噂を聞きつけて体験申し込みが後を絶たない。
体験者は、まずは安全第一のもと、さまざまなトレーニングを体験する。
1、2日かけて、クライアントさん一人につき、トレーナーが2,3人がかりで体を動かしていく。トレーナーさんたちも、ジムスタッフも、必ず回復して歩けるように出来ると確信して、自信を持って一人ひとりに対応しているのだ。
それがクライアントさんにも伝わるのか、必ず皆短い期間でも、それなりの成果を出して帰っていくという。

「最初はやはりネットや口コミでうちを知り、歩けなくなってしまったが、少しでも希があれば歩きたい、あきらめられない、といった方が多くやってきます。彼らクライアントさんの共通点は、やはり前向きで、メンタルやモチベーションを長く保ち続けられることです。すぐには結果が出ないことを、いつか必ず出ると信じて長く続けられる人たちです。」と谷野さんは言う。

そんな彼らと信頼関係を保って一緒に前進し続ける「J-Workout」って、どんな会社なんでしょうか?

「明るい雰囲気です。みんなのモチベーションが保てるように、子供や大人の区別なく、遊びを取り入れた楽しいメニュー作りをしています。飽きのこないメニューを目指しています。フィジカル面だけでなく、メンタル面でのサポートも、欠かさないように記をつけています。訓練に関係のない日常会話を交わしたり、年に何度かイベントを企画したりしています。」と谷野さんは丁寧に話してくれる。

はじめのうちは、どよ~んとした雰囲気で表情も暗かったクライアントさんが、トレーニングを重ねるうちに明るくよくしゃべるようになってくれるらしい。だがまだまだそれぞれが心に悩みを抱えている。いずれは、肉体面だけでなく心の悩みのケアも出来たらいいなと谷野さんたちは考えている。
だがそれは、スポーツトレーナーという仕事の枠を超えて、公私の区別もつきにくくなってしまうのではないか?

「そうですね、人と深く関わる仕事なので、大変な部分もあります。深く関わりすぎても、疲れるしお互いがストレスを感じてしまう。そういう意味ではバランス感覚が大事ですね。でもこの仕事はまだ新しい分野の開拓なので、日々勉強です。これからが楽しみです。」と彼は明るく前向きに答えてくれた。

人生のうちで、今が一番喜怒哀楽が激しいという。感情移入の多い仕事なのだそうだ。今は悩みのほうが多いが、大きな喜びが一つあれば、忘れられるらしい。

「忙しいときこそ遊ぶ!!これが自分のストレス解消法です!」
寝言がほとんど仕事の言葉だという、日々忙しい谷野さん。
これからも体に気をつけて頑張ってください!!

芹沢由紀子がお届けしました。


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追記

「J-Workoutと渡辺淳社長」

私が、ジムに取材に伺ったときに、快くトレーニング風景の写真撮影や、解説をしてくださったのが、社長の渡辺淳さんでした。
渡辺さんは、自身が一時期体を患って歩けなくなった体験を持ち、その後は勉強されて、アメリカにわたり、エゴスキュースペシャリストとなり、日本に戻り、このジムを立ち上げました。
「Know No Limit」をスローガンに掲げ、高い志で、多くの歩けなかったせきずい損傷者の方々に希望を与え、多くの尊敬を集めていました。

私は彼の熱いまなざしと情熱に圧倒され感銘をうけ、彼のほうが年下ではありますが、深い尊敬と賛辞の念を抱かずにはいられませんでした。

取材をひと通り終えて、私は「花畑で地上~」のマンガを描き上げました。ちょうど、掲載された雑誌「ザ・デザート」が発売するので、お礼をかねて掲載雑誌を届けようと、再びジムにアポをとろうとしました。
昨年の12月初旬の」ことでした。

そのときに、ショッキングなニュースを知ることになったのです。

それは、J-Workoutの渡辺淳さんの訃報でした。11月の終わりの週に、参加されたハーフマラソンの直後に倒れられ、そのまま帰らぬ人となられたそうです。

ものすごいショックでした。

どうして神様は、あんなに立派な人をこんな早く連れて行くの?なんで?

渡辺さんとは、2~3言会話を交わしたことがあるだけで、特に仲がよかったわけではありません。
ですが、自分の身近にはまずいない、「スゴイ人」「えらい人」「一番頑張っている人」だと思っていて、かなりリスペクトしていたし、微力ながら、「私にもなにか手伝えることが無いだろうかとか?」思っていたくらい、素晴らしい人だと尊敬して一目置いていた人でもあったので・・・・

そんな頑張っていてすごい人が、志半ばにして、たくさんの彼を慕う人々を残したままこの世を去るなんて、信じがたいし悔しいし、なんだか許せないと思ったし、無常感で一杯だった。

とにかく、なんか1週間くらいショックでヘコんでいたのでした。
でも、12月6日の故人の葬儀に参加して、改めて彼の偉大さや、彼をなくした悲劇の大きさを実感したし、お別れをしてきて、彼の死を悲しむ多くの人と共感できて、心が落ち着いたのでした。

今もジムでは、彼の意思を受け継いだ、谷野さんたち若きトレーナーさんたちが活躍しています。
なんだか、彼の死と関わるジムのその後ををどう報告していいか分からなくて、谷野さんの記事をアップするのがこんなに遅れてしまいました。

言い訳にしかなりませんが、3月の大震災といい、その後の放射能のゴタゴタ、今も帰れない福島原発付近の方々、心を痛めるには充分すぎるくらいたくさんの事件が日々続いてきました。

そんななかでも、嬉しい出来事やおめでたい出来事もたくさんありました。
また少しずつ、そんなこんなを報告していけたらいいなと思っております。

相変わらずパソコンとネットが苦手な私ですが、少しでも社会と関わりあって生きたい意志があるから、なんとか頑張ってやってみるよ。


こんな場でなんですが、改めて、渡辺淳さんのご冥福と、ご家族、関係者の方々のご健康を心よりお祈り申し上げます。

長々とお付き合いくださりありがとうございました!!

大震災被害のお見舞いを

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申し上げます


こんにちは芹沢由紀子です。

あけましておめでとうございますの更新から沈黙し、久々の日記更新の内容が、こんな大震災・大事故のネタになってしまい、なんとも暗い気持ちであります。
先日、3月11日は、私の久々のデザートコミックス「花畑で地上90㎝のキスを。」の発売日でありましたが、地震が起きて、なんか、それどころではなくなってしまいました。


連日テレビで報道を見ては、心を痛めております。
そんな毎日、私の近況・コメントなど、正直な思いを綴ってみたいと思います。


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実際自分に縁がある方も東北に多くいらっしゃり、安否を確認したり、気が気でならなかった。

私の部屋も、酒ビンが落ちてきたり、本棚が崩れたりしたが、そんなことは些細な被害であり、どうでもいいことだった。

幸いにも私は自宅で仕事をしているので、首都圏の交通マヒに巻き込まれることは無かったが、やはり放射能が心配だったり、アシスタントさんに通勤をあきらめてもらっているので、仕事ははかどらない。
そんな日々の中で、自分なりに節電してみたり、寄付しに行ったりやれることをやってみている。


かつて、若い頃に、山岸良子先生の原発批判短編マンガ「パエトーン」を読んで、恐れおののいていた記憶がよみがえってきた。
山岸先生のマンガは賛否両論だったが、私のような心のやわらかい若者に衝撃を与えるには充分だった。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3-%E3%81%82%E3%81%99%E3%81%8B%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%B1%B1%E5%B2%B8-%E5%87%89%E5%AD%90/dp/404924053X
それ以来、私は身の回りの近しい仲間に「原発に反対だ!」という意思を表明してきたが、「でも電気が足りないんだから仕方ないだろ?自分だって原発の恩恵に与っているくせに」といつも反発をされてきた。

私の身の回りには、不思議なことに、原発に反対している人がいなかったのだ。

「あれ?みんな、怖くないの?」

「NHKでチェルノブイリの事故の特番見なかったの?」

「私ってマイノリティーなの?」

そんなみんなの反発が怖くって、いつしか原発に反対の意思を表明できなくなっていった。

だけど、今回の地震に伴う事故が起きて、私はもっと世間に発信すべきだったのではないかと反省した。今後は、公的な場でも、自分の意見を恐れずに発表していきたいと思ったのだ。

今までは、「誰も私のブログなんか読まないだろ」とか「私なんかの影響力なんて、たかが知れている」と心がくじけて、インターネットや発行物に自分の主張を発表するのを控えてきた。

でも、こんなに国民や住民を危険に晒す発電なんて、本当に必要なんだろうか?今だって、発電所の作業をしているヒトは、相当の放射能に被爆しているだろうし、近隣住民はもう我が家で安心して生活することが出来ない。
農作物や、地産物の産業も大被害だろう。

代償が大きすぎる。

私は池袋近隣住民だが、地震が起こる以前から、深夜24時間営業のコンビニエンスストアや、ファミレスなどの煌々とした照明には疑問だった。
パチンコ屋や、サンシャインのアパレル店のBGMの大きさにも、その毒々しさや不自然さに嫌悪感すら感じていた。
だが、今街に出てみると、パチンコ屋や映画館は休業。コンビニの照明は暗くなっていて、飲食店や看板も暗いままで営業しており、落ち着いた静かな街になっている。

「やれば出来るじゃん!今まで、ムダだらけだったんじゃない!」と嬉しく思った。
これを機会に、無駄な電力を見直して、節電して、原発を廃止できたらいいのになと思うのだ。
電力会社や、一部の関係者だけが儲かるという理由で、危険な発電所を増やすよりも、もっとシンプルに、エネルギーを節約するという風潮に持っていければいいのだけど。

先日、久々にオリバーストーン監督の「プラトーン」という映画を観た。
ベトナム戦争での利権争いのために多くの犠牲と後遺症を残し、それを反省した人類の歴史を、改めて思い出した。
世界中の戦争の歴史から、人間は大切なことを学んだはずなのに、また同じことを繰り返さないと、なにもわからないのだろうか?

利益だけを追求した結果が、大きな犠牲(しかも弱者ばっかり)を生むということを、思い出して欲しいと思った。原発は戦争とは違うけど、首都圏の機能や住民を守るために、福島にお金を渡して県民の土地や健康、思い出を犠牲にするという、非常に恥ずかしい契約。


原発批判に偏ってきちゃった。だけど、暗いニュースの中でも、心がほっとするネタもあった。
日ごろから、日本の自衛隊制度や、軍備、アメリカの言いなりになっている日本の米軍配置には反対の意を示してきた私ですが、今回の自衛隊や米軍における被災地の救援活動には、感謝と感動を覚えた。
こんな国家の危機的なときにこそ、彼らは存在していたんだな~と、少し自分の見識の狭さを反省。
いつもいつも平和で、安全に暮らしていけるわけではないからね。


それから、今回のことは、「あ~自分の地域が被災しなくてよかった。しあわせだ~」なんて他人事みたいにありがたがっていてはいけないんだな、とも思う。
彼らはかつての私たちの姿であり、未来の私たちの姿でもあると思う。
自分が無事だったからと言って、もとののんきな生活に戻るのではなく、自分の有り方を考え直す機会でもあると思った。


長くなったけど、説教くさくなったけど、たまにしか更新しないくせに、じつはいつもこんな暑苦しいことを考えて生活している芹沢の実態を、少しでも皆さんにお伝えできればこれ幸いと思う。(皆さんってだれだ?)

PCを立ち上げるのがめんどくさい。というか、小心者の私は、実は電磁波が怖い(笑)

私には、インターネットや電子機器がいまいち肌に合わないのかも。とはいっても、昨今避けては通れないツールだから、世捨て人にならない程度には参加するつもり。

幸い私は、世間に何かを発信できる立場にあるのだから、もっと有意義なことを発信できればいいなとも思っているよ。エロいマンガだけではなくね・・・・HAHAHA・・・・


講談社デザートのウェブサイトから依頼があった被災地応援イラストを乗せておきました。ほかにも漫画家さんがイラストを載せています。デザート読者さんはチェックしてみて!!

http://kodansha-dessert.weblogs.jp/blog/

謹賀新年2011

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あけましておめでとうございます。

なかなか更新しない芹沢由紀子の日記、半年ぶりの更新です。
新年あけましておめでとうございます。

昨年後半は、長編読みきりにかかりきりの日々だったため、皆様にご報告したいことがたくさんあったのに、まったく出来ていませんでしたね・・・

今年はヒマをみつけて、こまめに更新したい・・・・と、毎年思っているのですが、仕事以外ではPCを立ち上げることすら億劫なズボラマンガ家なもんで、まあ、毎年こんなもんです。

さて、現在2月発売の「ザ・デザート」のための読みきりラブコメを執筆中です。お楽しみに!!詳しくは後日、NEWSのコーナーでお知らせします。

まあ、なんとか仕事しながら生きてるわけです。ご安心を!!


今年の年賀状は、松本なんとかサンという日本画家の「酒天童子」をモチーフにしてみました。
本物の日本画のほうは、もっと妖艶です。私にはこの程度が限界だな。


新年、今年一年もどうぞよろしくお願いします。今後も、芹沢由紀子の、マンガ業界からなかなか消えそうで消えない細々とした仕事ぶりに要注目ダゼ!!チェキラッちょーーー

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いまさら????な
メールのお返事コーナー


M中性さま 
励ましメッセージありがとうございました。続きが読みたいといってもらえてとっても嬉しいです。そのうち、ステキなストーリーが出来たら、描いて見たいです~!!そのときはまた是非読んでくださいね!

M澤敬○さま
メッセージありがとうございます。「約束」の感想をどうもありがとうございました。少しでも、お2人の役に立てたらシアワセです。今でも仲良く暮らしておられるのでしょうか?
世間からの理解がより深まることを期待しています!!


しおんさん
まいどメッセージどうもありがとうございます。お返事が毎回とても遅くなってしまってごめんなさい。しおんさんのような、熱心なファンの方の存在が、とっても仕事のモチベーションを上げてくれるのです!!今年もよろしくお願いします。
新作のコミックスは、10代の方にはシゲキが強すぎたかもしれないと、ヒソカに心配しております。
大丈夫でしたか?無理せず、ついてきてくださいね!!

38歳の長岡市の野村さん
いつもメッセージありがとうございます。新作は、ちゃんと発売日に読んでくれましたか?今年はまた花火を見にいけたらイイナと思っています。今年もよろしくお願いします。

龍夜さんへ
メッセージありがとうございました。まだ10代の学生さんなんですね~、まだまだ自分のことが自分でもよくわからなくて当然だと思います。これからいろいろ試行錯誤の人生になると思いますが、見つけた優しい理解アル彼女さんを大切にして、前向きにがんばっていってくださいね~!!応援しています。

取材レポ3 せきそんのイケメン「徳永征士さん」

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今回も引き続き取材のレポートです!

お仕事のほうは、順調です。新しい担当編集さんと初めて一緒に作る作品なので、2人で気合を入れつつ、取材に励んできました。
「せきそんの車椅子の彼氏をもつ女の子が主人公の長編読みきり」を着々と準備中ですので、楽しみにしててくださいネ!!


それでは今日はJ-workoutに通うせきそんの若者「徳永征士さん」のインタビューの模様をお届けします!


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徳永征士さんは、なんと平成生まれの現在20歳。

徳永君、と呼ぶほうがしっくり来る若者です。
千葉県で生まれ育ち、母と兄の3人家族。
小中と、剣道三昧の少年時代をすごした。剣道部に所属しながらも、近所の道場にも通うという、休みなしの剣道人生一直線。
推薦でスポーツの専門高校に入学し、高校でも剣道部に入部。
中3くらいから、徳永君の中に、
「強さってどういうことなんだろう?」という漠然とした問いが生まれ始め、自分でも考えるようになったという。

竹刀を相手の体に当て、審判の旗が上がれば勝ち、という競技的な剣道よりも、武道としての真剣勝負の剣道がしたい、と思うようになったのだ。
武士道や魂(ソウル)の部分で精神的な武道としての剣道を、もっと極めていきたい。そんな純粋な想いが強まっていたある日のことだった。


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剣道の試合に惜敗し、暗い気持ちで高校の期末試験初日を迎えた12月のある日。
徳永君、16歳の冬のことだった。
部活の顧問にも叱られて、精神的にも追い詰められていたその日、体調も芳しくなかった。
なんとか試験は受けたものに、帰宅してすぐに横になっていた。
2階の自分の部屋で寝ていた彼は、ふと外が気になって覗こうと窓から体を乗り出すと、そのまま転落。
腰椎を粉砕骨折してしまった。

痛みで動けず、吐いていた徳永君を近所の人が見つけて、すぐさま救急車が駆けつけた。そのまま病院へ搬送され、CT、MRI検査を受け、即入院だった。重くて手が動かせない。
1週間後に手術が決まったが、それまではベッドに固定されて動けない状態が続いた。

断続的に襲ってくる激痛。痛み止めの点滴は、切れる瞬間にその効果がすぐに分かるほどだった。
しかし、ある一定時間を空けないと次の痛み止めを使えないため、その数時間は地獄の痛みに耐えなければならなかった。


そして、1週間後、腰椎の手術をするために、まずは手術に耐えられるようにするためのスポーツ心臓の手術をしなければならなかった。最初にカテーテルで心臓にペースメーカーを付けられた。
その後6時間に及ぶ手術で、腰椎の砕けた部分に、胴体から骨を移植し、ボルトで止める。このボルトは、骨が固まった1年半後に体内から取り出された。


手術前後は夜になると38~39度の熱が出て、苦しめられた。
血圧も低いままで、なかなかよくならなかった。
そして手術から1~2週間がたったころ、徳永君は医師から初め「せきずい損傷」だといわれた。
「これからは動くほうの上半身強化ためのリハビリをしていきます」と。

そんなショッキングな宣告をうけても、徳永君自身はとても落ち着いていたという。「ああ、そうなんだな」とすんなりその事実を受け入れられた。
だが、自分がせきそんになったことで、周囲がどう思うだろうと心配になった。
母は、自分以上にショックを受けるだろう。顧問の教師は・・・
友人達も自分から離れていくのでは・・・と不安になった。

だが、病院には友人達が通ってきてくれて、その不安は吹き飛んだ。

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それからの3~4ヶ月は、ひたすら自立生活へのリハビリに励んだ。
彼は脅威のスピードで、次々と課題をマスターしていった。
寝返り、床から車椅子への移乗(トランス)、着替え、車椅子で段差を乗り越える、etc・・・

そして、4ヵ月後には、カテーテルをつけた状態で、茨城県まで車椅子バスケを見学・練習しにいった。

病院から、週に3~5回は車椅子バスケの練習に通った。
母親が見つけてきてくれたせきそん専門のトレーニングジム「J-workout」にもこのころ見学に行った。

そして4月には、高校に復帰したのだった。
坂の上に位置するその高校へ車椅子で通うのは大変だったが、徳永君のために、校舎の2階だった教室を、クラスごと1階に配置換えされていたり、車椅子専用のトイレが設置されたりと、配慮がなされていた。
徳永君はスムーズに高校生活に復帰したのだった。

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5月から本格的にJ-workoutでのトレーニングも開始。
上半身の筋力強化と下半身の関節などを和らげるストレッチを行なっている。

自律神経がうまく働かないために、今でも発熱に苦しむ夜があり、歩かないために尻の筋肉が衰え、痩せてしまい、そこやかかとにじょくそう(とこずれ)が出来てしまって苦しんだ。
対策としては、中央が丸くくりぬかれたクッション(円座)の使用や、頻繁に腰を持ち上げる、など。

その後、トレーニングや車椅子バスケを続けながら、高校を卒業。そして1浪してのちに大学生となった徳永さん。
現在は、車で大学に通いながら、勉強と遊びとスポーツを両立させ、充実した日々を送っている。現在の所属チームは「千葉ホークス」。

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スピニング・フープス・レヴォリューションという車椅子バスケットのチームの斉藤選手との出会いで、彼の行き方やポリシーに影響を受けた。
いくつもの持病や障害を抱えながらも明るくアグレッシブな生活を送る斉藤さんの言葉は力強いものだった。
「出来ないと思ったら一生出来ない。まずはやってみろ。やってもいないうちから出来ないというなかれ」

この言葉を実践する斉藤さんに強く惹かれ、今では徳永さんも、その生き方を実践している。
「出来ないことはないっス!!やらないだけっス!!だからやります!!」
彼の表情はとても明るく、まなざしはまっすぐだ。

せきそんになってから4年間。
ずっと、「歩く」って何だろう?と考え続けてきた。
それまでは「歩ける」ことがフツウで、深く考えたことなど無かった。だが今もじっくりと「歩く」ことについて、考えている。

そしてようやくそれがわかりはじめてきたという。

18歳のとき、短い期間入院していた病院で、年上の女性とであった。しばらくはメールなどで友情を深め、やがて付き合い始めた。
今年、付き合って2周年の記念に、夜景の美しいスポットへ2人で出かけた。
車の中で、徳永君は最愛の彼女に、手紙を読んで聞かせた。
「ロマンチックなことがすきなんです。定期的に手紙を書いたりしてます」
デートで訪れたディズニーランドでも彼女に手紙を読んだとか。

「気持ちは、自分の口で言わないと伝わらない。言葉による愛情表現は絶対に必要ですよ」という徳永君。世の中のシャイガイたちに聞かせてやって欲しい。


剣道しか見ていなかった16歳までの自分。だけど、せきそんになって歩けなくなり、人生が変わった。
「自分の人生を100パーセント受け入れていて、すごいですね!」と私が言うと、
「クヨクヨしてる時間がもったいないですからね!」と徳永クンが答えた。

「ボクは、100年って短いと思っているんですね。今、20歳。80年生きれたとして、現役で動けるのは60歳くらい?だとしたら、あと40年しか残ってない。そう思うんです。」


せきそんになったことは、彼の人生におけるほんの少しのデメリットにしかなっていないようだ。

「これからもいろんなところにいきたい。いろんな人に会いたい。たくさん遊びたい。」


彼は2時間半近く私と、担当編集者辻氏にサービス満点のインタビューをさせてくれて、我々は大変勇気と元気を頂いてきた。
途中、彼は「マンガを書くなら、実際車椅子に乗ってみたほうがいいですよ!」と、自分のマシンに私たちを試乗させてくれた。
床トランスも披露してくれた。

人懐っこくて明るい青年だった。

徳永さん、これからもアグレッシブに人生を疾走していって欲しいです。応援しています!!

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せきそんの車椅子の男性インタビューは今回で終わりです。非常に充実した取材でした。作品に素晴らしい感じで反映できるといいなあと考えております。努力いたしますゆえ、どうかお楽しみに!!

次回は、J-workoutで実際トレーニングをサポートしているトレーナーの谷野さんのお話を書かせていただきます。
彼も誰が見てもイケメンなので、お楽しみに!!


メールのお返事は次回の日記にてさせていただきます。よろしくお願いします~

取材レポ2 せきそんのイケメン「宮野竜一さん」 

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こんばんは芹沢です。

毎日昼の安達祐美ちゃんのドラマと、そのあとの韓流ドラマにはまっている私でありますが、一応仕事もしております。

今宵も先日に引き続き、取材でお会いしたせきそん(脊髄損傷)のイケメンさんをご紹介していただきたいと思います。

取材には、全面的にJ-Workoutさん(日本で唯一のせきそん専門のトレーニングジム)の協力を頂きました。サイト↓

http://j-workout.com/

今回の男性は「宮野竜一さん」22歳です。

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宮野さんは、岩手県で生まれ育ち、スキーの大好きな少年時代をすごした。高校時代は岩手県のスキーチームに所属しながらも、フィールドホッケー部も掛け持ちし、スポーツはいつも宮野さんの側にあった。
熱中したら、周囲が見えなくなるほどまっすぐな性格だった宮野さんは、高校時代にスキーをしにいったスイス旅行をきっかけに、フランス語やフランスの文化に興味を持った。

高校を卒業したら、専門学校を出てホテルマンになろうと思っていたが、父親に「視野を広げるために」と大学進学を勧められた。

そして宮野さんは、横浜にある大学の文学部に進学した。
大学では、文学を勉強していたが、都会を颯爽と走る白バイ警官を見てから、強く憧れを抱くようになり、「いつかは自分も体を動かす仕事をしたい、警官になりたい」と思うようになったという。
そしてバイクの免許を取り、バイクを購入して、横浜の町を走らせていた。

当時、岩手のスキーチームから、練習環境のより整った福島のスキーチームに移籍した宮野さん。
モーグル競技の選手として、横浜と福島を往復し、学業とスキーを両立する生活を送っていた。

友人の紹介で恋人も出来、充実した青春を送っているかに見えた宮野さんの日常生活は、2008年、彼が20歳の冬に一変することになる。

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2008年2月、スキーのモーグル競技の大会が行なわれていた長野の会場は、この日悪天候で、とても大会を開催できるコンディションではなかった。だが、この日は、オリンピックにも出ている有名選手がやってきていたために、長野県はこの大会を決行したのだった。
宮野さんは、この大会を終えたら、引退しようと決めていた。彼の選手人生最後の締めくくりになるはずだった。

しかし・・・

事故は起こってしまった。宮野さんは視界の悪いなかで、ミスをしてジャンプに失敗、頚椎を損傷してしまう。
左腕に激しい痛み。
すぐさまレスキュー隊がやってきて県内の病院へと搬送された。その間、ずっと足が曲がったままの感覚があり、レスキュー隊の人に「足をまっすぐにしてください」と頼んだが、「足はまっすぐに伸びているよ」と教えられた。
「ヤバイな、ヤバイな・・・」
宮野さんは心の中で繰り返していた。

その日のうちに、病院でMRIの画像を見せられると、素人目にも分かるほど、首の骨がグシャっと壊れていたという。
首を動かさないように固定されたまま2週間入院した。
その間もずっと天井を眺めて「ヤバイことになった」と感じていた。
そして2週間後に、手術によって、首から砕けた骨を取り除き、腰の骨を移植し、さらにソレを固定するために金属のプレートが入れられた。
かろうじて腕は動かせるようになったが、下半身は動かせなかった。
入院中に恋人が持ってきてくれたマンガ「リアル」を読んで、「自分の状態と全く同じだ」と思ったという。
このとき、病院の中でネットを通して「J-Workout」の存在を知り、早速体験を申し込んだ。
「体を元に戻したい」という希望を持って。


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入院1ヵ月後には、車椅子に乗れるほどに快復。だが2ヵ月後にも、やっと車椅子を自力でこげるかこげないかのレベルだったので、「もしかしたら、これ以上快復できないのでは?」という思いになることもあった。

怪我をしてから2ヵ月後の、2008年4月、宮野さんは厚木のリハビリ専門の病院に転院した。そこで、車椅子で生活していくうえで必要な訓練や、様々なリハビリを受けた。
ココでは、メニューの一環として、足を使わない車の運転方法を、シュミレーターを通して学べた。
もともと自動車の免許を持っていた宮野さんは、この講習で、腕だけでの運転をマスターしたのだった。

そして、年末の12月に、念願のJーWorrkoutに体験トレーニングをしにいき、入会を決意した。
そこでは、今までのリハビリと違い、せきそんというケガへのアプローチが全く異なっており、驚いたと同時に、「ココでのトレーニングを続ければ、何かが変わる」という可能性を感じた。

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そして翌年の2009年4月。
宮野さんは無事退院をして、大学に復学することが出来た。
生活は怪我をする前と同じ、全くの一人暮らしだ。

今では、洗濯や家事もこなす。
「一人暮らし、厳しくないですか?」とたずねると、
「全然大丈夫ですよ。大学も車で近い距離だし。ただ、肩こりがひどいですけど」と明るく答えてくれる。

今も彼は、腕の一部分に感覚がもどっていない部分があり、不自由なところもあるが、大学やジム、ドライブなどアグレッシブに行動している。
恋愛も、怪我をする前からの彼女とは、離れてしまい、「もう恋愛はいいや、自分のことで精一杯だ」とあきらめていた時期があった。だが、現在は充実した日々だそうだ。

せきそんになってしまったことで、憧れていた白バイ警官への道は断たれてしまったが、今は新たな目標に向かって、勉強中だ。
「公務員になって、都市整備や、福祉のサービスの充実に携わる仕事をしたい」と考えるようになった。

「故郷である岩手も好きだ。雪が好きだから。けど、自分の住む横浜の町も好きなんです。この町に暮らす、自分のような障害のある人たちの役に立てたらいいなと思うんです。」
宮野さんは話す。

とこづれや、筋肉の拘縮を防ぐためのマッサージや、トレーニング、ストレッチは欠かせないし、常備薬も飲んでいる。自律神経がうまく働かないことで、体温の調節が難しいときもある。
「せきそんになって、失ったものがたくさんある。
だが、怪我をしたからこそ、見えてきたものもたくさんあった」と宮野さんは言う。

自分のケガの原因となったスキーに対しても、今でも大好きだ。なぜなら、スキーをしていなければ、出会えなかったような素晴らしいアスリート達との出会いがあったから。
スキーをしていたからこそ、こうしてケガを負った今でも、「上を目指して頑張る」ことがフツウに出来るのだそうだ。


前向きな宮野さんも、最後に悔しい思いも語ってくれた。
「ただ、体の弱い母親に苦労をかけてしまったことが、悔しいです。申し訳ない思いで一杯です。もし、ボクの運命を決めた神様に会えるとしたら、僕は一発ぶん殴ってやりたい。『大変だったんだぞ!ココまで来るの!!』ってね。でも、その後は、一杯酒でも一緒に飲みたいですね。」


大人びた色白の22歳の青年は、とてもしっかりと自分の筋をもった若者だった。

宮野さん、この日の取材にご協力くださり、ありがとうございました。あなたに、ステキな未来がありますように。願っています。

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次回もまだまだ取材レポート、続きます。
次回はせきそんのイケメンパート3「徳永征士」さんの巻です。

取材レポ1 せきそんのイケメン「杉田秀之さん」

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こんちわ!
芹沢です。
現在わたくし、最近次回作のために、コツコツ取材をしております。

なんと次回作は、車椅子の男の子が出てくるお話の予定なので、せきそん(脊髄損傷)の障害者の方が通う、日本で唯一の専門トレーニングジム「J-WORKOUT」さんの全面協力の下、いろんなせきそんの男性に突撃取材をさせていただいておるのです。

J-WORKOUT
サイト↓
http://j-workout.com/index.html

皆さんとてもステキな方ばかりなので、漫画の参考にするだけではとてももったいない!ということで、当サイトの日記にて、その取材の模様をお伝えすることにしました。


今日は、そのジムに通う「杉田秀之さん」をご紹介いたします。


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杉田さんは現在大学3年生。22歳の青年だ。
テーブルに座って話をしていると、彼が杖を使用して歩く障害者だということを忘れてしまうくらい明るくてごくフツウの好青年。

杉田さんは、東京都の駒澤大学駅のある町に生まれ育ち,
ステキな家族に囲まれてすくすくと育った。中学でラグビーを始めた。
中学時代は生徒会長などを務めるほど活発でリーダーシップのある生徒だった。好きな女の子には一途で、フラれても、フラれても果敢にアタックし告白し続け、ついには思いを遂げて、その女の子と付き合えることになった。

本人曰く「バリバリの肉食系男子」だったという。

そんな杉田さんは、高校に進み、ラグビーを続けた。そのままスポーツ推薦で受験に合格。無事大学に入学し、大好きなラグビー三昧の大学生活を送るはずだった18歳の夏に、事件が起こる。


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杉田さん18歳の8月。
長野県菅平での練習試合、スクラムを組んだその瞬間に、事故が起こった。
「頚椎損傷」
意識ははっきりあるものの、首から下がまったく動かせず、感覚が無い。ただ、首の部分だけが猛烈に熱かった。
すぐさまヘリコプターで県内の病院へ搬送され、その日のうちに、首の部分を開いて、いろんな部位をもとに戻す手術が行なわれた。

10日後に、東京の病院に転院した。1ヵ月後に再び固定する手術を受ける。


その間、手足はまったく動かせず、感覚も無かった。医者がアルコール綿や、ハケによって、杉田さんの皮膚の感覚を確かめると、頚椎5~6番を損傷していると診断された。

東京の病院では、約150人近くいるラグビー部の部員が、毎日常時何人か入れ替わり立ち代り病室を訪れ、杉田さんを励ました。
当時付き合っていた彼女も駆けつけて見守ってくれた。
自分の怪我と障害に対する不安や、ラグビー部に対して「怪我をして迷惑をかけてしまった」という罪悪感に苦しんだ。


血圧が下がりっぱなしだったが、事故後2ヶ月目でようやく落ち着いたので、東京都武蔵村山にあるせきそんのリハビリ専門病院へ転院することになった。

一生車椅子?という不安と戦いながらも、周囲の期待にこたえるかのように杉田さんの体はグングンと快復に向かっていった。
皮膚の感覚ももどり、体がが徐々に動かせるようになった。


年末には、車椅子に乗って移動が可能になる。

リハビリは辛いものだったが、体がどんどん快復するという目に見える成果が彼を前へ前へと突き動かしていった。
ガンガン車椅子で外出し、売店で酒やタバコを買って個室でたしなんだ。(悪いやつ!笑)

やがて、20歳の誕生日をリハビリセンターで迎える。ケーキが振舞われ、禁止されていたが、酒も飲んだ。鬱積していたものが多少なりともあったのでしょうか。

その間に、事故の前から付き合っていた彼女も、杉田さんを車椅子で連れ出したり、支えになってくれていたが、結局うまく行かなくなって別れてしまう。「当時は少し病んでいて、疲れていました。恋愛をする意味が、よく分からなくなってしまったのかもしれません」


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ついに事故から1年後、リハビリセンターでは、つかまり立ち、壁に肩をついての歩行までもが可能なほどに、快復していた杉田さん。
とうとう退院することが出来た。
「頚椎5~6番完全型のせきそん」と診断された患者さんとしては、異例の快復ぶりだという。
きっと、ラグビーやスポーツで鍛え上げられた肉体と精神力が、彼の残された神経を超高速スピードで復活させていったのだろう。


大学にも復学し、バリアフリー設備の整った学部に変わった。
家族で今は二子玉川に引越しをし、今は自宅から車で大学に通っている。

ラグビー部には所属はしているものの、実際の活動には参加していない。
昔の高校時代のライバル選手はいまだ現役で同じラグビー部で活躍している。
「がんばって活躍して欲しい、と思う反面、自分が出来ないのですこし悔しい思いもあります。」と、ラグビーに対しての複雑な想いを語ってくれた。

恋愛はどうなんですか?という突っ込んだ質問にも、
「今は彼女はいません。でももし今好きな子が出来たら、今もちゃんとしたスピードで歩けない僕ですが、多分3日で走ると思います。走れるようになると思うんです。」
と爽やかな笑顔で答えてくれた。

それくらい人を好きになる気持ちには、計り知れないパワーがあるということでしょう。

「昔は、高校生くらいの頃は、自分は無敵くらいに思ってた。社交的で、人が好きで、寂しがり屋で、友情に厚くて・・・頑固で。一度決めたら信念を曲げない、そういう人間でした。」と自己のパーソナリティーを語ってくれる杉田さん。
「せきそんになってしまった今も、基本は変わっていないと思います。だけど、恋愛に関してだけは、とても臆病になってしまいました。」

フラれてもフラれても、あきらめずに相手に向かっていったガッツは、今はもう無い。


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現在大学3年生。来年は就職活動が控えている。
「社会に出て行くことへの漠然とした不安」や「フツウではないというコンプレックス」があったらしい。
だが、せきそん専門トレーニングジム「J-WORKOUT」と出会い、そこでの前向きな取り組みや姿勢が、彼を変えた。
ジムのトレーニングとして、アメリカの本社があるサンディエゴに行ったことが、彼に大きな変化をもたらしたという。
気持ちが前向きになったのだ。

今は、杖をつきながら、ゆっくりとゆっくりと歩くことが出来るが、走ることは出来ない。低い段差をジャンプすることはできるが、高い段差はムリだ。

障害を抱えることで、周囲からの視線や、階段で感じる不便。自分の中にはまだまだ「他人から見下されているのでは?」というひくつな感じがある。

だが、今は、総合政策学部の情報学科で、福祉関係の勉強をしている。
まだまだトレーニングを続けて、以前のような状態まで快復することを目指している。

「好きな子が出来たら、一緒に浜辺を走りたい(笑)。」
「実は、明日はボクが主催のBBQをするんですが、友達がたくさん来てくれるんです。楽しみです。」


本当に、「せきそん」だということを忘れるくらい、一緒にいると生き生きとした、活発で明るい笑顔の似合うお茶目な男の子だった。「写真を何枚か撮らせてもらえますか?」とお願いすると、テレながらも被写体になってくれる。
明るくて社交的な彼は、とても協力的にいろんなことを話してくれた。
「マンガ家さんと話をするなんて、初めてなのでとても楽しみにしてきました!」ととても喜んでくれた。

ありがとうございました。
杉田君の笑顔で一発で私は彼のファンになった。

多分、障害があってもなくても、それは間違いなく彼のチャームポイントになってしまうのだろうなと感じた。


杉田さんが、再び昔のように、走れる日が来ることを願って、この取材記を〆たいと思います。


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次回は同じく「J-WORKOUT」に通っているせきそんのイケメン、「宮野竜一さん」を取材したレポートを載せるので、お楽しみに!!

山梨に行ってきた その2

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山梨県の八ツヶ岳にあるサントリーのウィスキー「白州」の蒸留所にいって工場見学してきたことを、先日の日記に書きましたが、今日はその続きです。

その翌日に、サントリー工場のすぐ横にある「シャトレーゼ」のアイスクリーム工場にも行ってきました。

シャトレーゼとは、幼い頃からアイスやケーキで大変お世話になっていたブランドなので、すごく楽しみにしていきました。

こちらの工場も、澄んだ空気の森の中に立っていて、森林のマイナスイオンに囲まれています。


見学希望の方はまずこのホームページをご確認ください。↓
http://www.chateraise.co.jp/

最初の映像ルームでは、どのようにアイスクリームが作られているかの、オートメーションシステムの過程をVTRで見ることができる。これは面白い映像でした。

さらにその後、工場内は自由に見学できる上に、なんと自社製品のアイスクリームが食べ放題!!

ちょっと子供に混じって興奮してしまった芹沢。欲張って3個も一気食いしてしまい、帰りの車の中ではおなかが痛くなってしまった。

帰りにはシャトレーゼのお菓子をオトナ買い。


いろんな工場を見学するのは結構楽しくて、はまってしまいそうです。
オートメーションの機械から、食品が加工されて出てくる様は、まさに圧巻です。
働く人も、全身白い作業着に身を包み、生別も年齢も分かりません。ちょっとSFチックなのです。


ついでに、前から見たかった「いのちの食べ方」というドキュメンタリー映画も見てみました。
こちらもなかなか面白かったです。家畜が屠殺されるショッキングなシーンもあるので、苦手な方は気をつけてね!!

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