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今回も引き続き取材のレポートです!
お仕事のほうは、順調です。新しい担当編集さんと初めて一緒に作る作品なので、2人で気合を入れつつ、取材に励んできました。
「せきそんの車椅子の彼氏をもつ女の子が主人公の長編読みきり」を着々と準備中ですので、楽しみにしててくださいネ!!
それでは今日はJ-workoutに通うせきそんの若者「徳永征士さん」のインタビューの模様をお届けします!
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徳永征士さんは、なんと平成生まれの現在20歳。
徳永君、と呼ぶほうがしっくり来る若者です。
千葉県で生まれ育ち、母と兄の3人家族。
小中と、剣道三昧の少年時代をすごした。剣道部に所属しながらも、近所の道場にも通うという、休みなしの剣道人生一直線。
推薦でスポーツの専門高校に入学し、高校でも剣道部に入部。
中3くらいから、徳永君の中に、
「強さってどういうことなんだろう?」という漠然とした問いが生まれ始め、自分でも考えるようになったという。
竹刀を相手の体に当て、審判の旗が上がれば勝ち、という競技的な剣道よりも、武道としての真剣勝負の剣道がしたい、と思うようになったのだ。
武士道や魂(ソウル)の部分で精神的な武道としての剣道を、もっと極めていきたい。そんな純粋な想いが強まっていたある日のことだった。
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剣道の試合に惜敗し、暗い気持ちで高校の期末試験初日を迎えた12月のある日。
徳永君、16歳の冬のことだった。
部活の顧問にも叱られて、精神的にも追い詰められていたその日、体調も芳しくなかった。
なんとか試験は受けたものに、帰宅してすぐに横になっていた。
2階の自分の部屋で寝ていた彼は、ふと外が気になって覗こうと窓から体を乗り出すと、そのまま転落。
腰椎を粉砕骨折してしまった。
痛みで動けず、吐いていた徳永君を近所の人が見つけて、すぐさま救急車が駆けつけた。そのまま病院へ搬送され、CT、MRI検査を受け、即入院だった。重くて手が動かせない。
1週間後に手術が決まったが、それまではベッドに固定されて動けない状態が続いた。
断続的に襲ってくる激痛。痛み止めの点滴は、切れる瞬間にその効果がすぐに分かるほどだった。
しかし、ある一定時間を空けないと次の痛み止めを使えないため、その数時間は地獄の痛みに耐えなければならなかった。
そして、1週間後、腰椎の手術をするために、まずは手術に耐えられるようにするためのスポーツ心臓の手術をしなければならなかった。最初にカテーテルで心臓にペースメーカーを付けられた。
その後6時間に及ぶ手術で、腰椎の砕けた部分に、胴体から骨を移植し、ボルトで止める。このボルトは、骨が固まった1年半後に体内から取り出された。
手術前後は夜になると38~39度の熱が出て、苦しめられた。
血圧も低いままで、なかなかよくならなかった。
そして手術から1~2週間がたったころ、徳永君は医師から初め「せきずい損傷」だといわれた。
「これからは動くほうの上半身強化ためのリハビリをしていきます」と。
そんなショッキングな宣告をうけても、徳永君自身はとても落ち着いていたという。「ああ、そうなんだな」とすんなりその事実を受け入れられた。
だが、自分がせきそんになったことで、周囲がどう思うだろうと心配になった。
母は、自分以上にショックを受けるだろう。顧問の教師は・・・
友人達も自分から離れていくのでは・・・と不安になった。
だが、病院には友人達が通ってきてくれて、その不安は吹き飛んだ。
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それからの3~4ヶ月は、ひたすら自立生活へのリハビリに励んだ。
彼は脅威のスピードで、次々と課題をマスターしていった。
寝返り、床から車椅子への移乗(トランス)、着替え、車椅子で段差を乗り越える、etc・・・
そして、4ヵ月後には、カテーテルをつけた状態で、茨城県まで車椅子バスケを見学・練習しにいった。
病院から、週に3~5回は車椅子バスケの練習に通った。
母親が見つけてきてくれたせきそん専門のトレーニングジム「J-workout」にもこのころ見学に行った。
そして4月には、高校に復帰したのだった。
坂の上に位置するその高校へ車椅子で通うのは大変だったが、徳永君のために、校舎の2階だった教室を、クラスごと1階に配置換えされていたり、車椅子専用のトイレが設置されたりと、配慮がなされていた。
徳永君はスムーズに高校生活に復帰したのだった。
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5月から本格的にJ-workoutでのトレーニングも開始。
上半身の筋力強化と下半身の関節などを和らげるストレッチを行なっている。
自律神経がうまく働かないために、今でも発熱に苦しむ夜があり、歩かないために尻の筋肉が衰え、痩せてしまい、そこやかかとにじょくそう(とこずれ)が出来てしまって苦しんだ。
対策としては、中央が丸くくりぬかれたクッション(円座)の使用や、頻繁に腰を持ち上げる、など。
その後、トレーニングや車椅子バスケを続けながら、高校を卒業。そして1浪してのちに大学生となった徳永さん。
現在は、車で大学に通いながら、勉強と遊びとスポーツを両立させ、充実した日々を送っている。現在の所属チームは「千葉ホークス」。
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スピニング・フープス・レヴォリューションという車椅子バスケットのチームの斉藤選手との出会いで、彼の行き方やポリシーに影響を受けた。
いくつもの持病や障害を抱えながらも明るくアグレッシブな生活を送る斉藤さんの言葉は力強いものだった。
「出来ないと思ったら一生出来ない。まずはやってみろ。やってもいないうちから出来ないというなかれ」
この言葉を実践する斉藤さんに強く惹かれ、今では徳永さんも、その生き方を実践している。
「出来ないことはないっス!!やらないだけっス!!だからやります!!」
彼の表情はとても明るく、まなざしはまっすぐだ。
せきそんになってから4年間。
ずっと、「歩く」って何だろう?と考え続けてきた。
それまでは「歩ける」ことがフツウで、深く考えたことなど無かった。だが今もじっくりと「歩く」ことについて、考えている。
そしてようやくそれがわかりはじめてきたという。
18歳のとき、短い期間入院していた病院で、年上の女性とであった。しばらくはメールなどで友情を深め、やがて付き合い始めた。
今年、付き合って2周年の記念に、夜景の美しいスポットへ2人で出かけた。
車の中で、徳永君は最愛の彼女に、手紙を読んで聞かせた。
「ロマンチックなことがすきなんです。定期的に手紙を書いたりしてます」
デートで訪れたディズニーランドでも彼女に手紙を読んだとか。
「気持ちは、自分の口で言わないと伝わらない。言葉による愛情表現は絶対に必要ですよ」という徳永君。世の中のシャイガイたちに聞かせてやって欲しい。
剣道しか見ていなかった16歳までの自分。だけど、せきそんになって歩けなくなり、人生が変わった。
「自分の人生を100パーセント受け入れていて、すごいですね!」と私が言うと、
「クヨクヨしてる時間がもったいないですからね!」と徳永クンが答えた。
「ボクは、100年って短いと思っているんですね。今、20歳。80年生きれたとして、現役で動けるのは60歳くらい?だとしたら、あと40年しか残ってない。そう思うんです。」
せきそんになったことは、彼の人生におけるほんの少しのデメリットにしかなっていないようだ。
「これからもいろんなところにいきたい。いろんな人に会いたい。たくさん遊びたい。」
彼は2時間半近く私と、担当編集者辻氏にサービス満点のインタビューをさせてくれて、我々は大変勇気と元気を頂いてきた。
途中、彼は「マンガを書くなら、実際車椅子に乗ってみたほうがいいですよ!」と、自分のマシンに私たちを試乗させてくれた。
床トランスも披露してくれた。
人懐っこくて明るい青年だった。
徳永さん、これからもアグレッシブに人生を疾走していって欲しいです。応援しています!!
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せきそんの車椅子の男性インタビューは今回で終わりです。非常に充実した取材でした。作品に素晴らしい感じで反映できるといいなあと考えております。努力いたしますゆえ、どうかお楽しみに!!
次回は、J-workoutで実際トレーニングをサポートしているトレーナーの谷野さんのお話を書かせていただきます。
彼も誰が見てもイケメンなので、お楽しみに!!
メールのお返事は次回の日記にてさせていただきます。よろしくお願いします~
































